垣谷 美雨さんの「嫁をやめる日」を読みました。
夫が急死した 高瀬夏葉子(44)さんが主人公。
直後は 悲しみよりも自由になった〜と感じた夏葉子さんですが
夫が亡くなっても嫁は終わらないのです。
文庫本では改題「夫の墓には入りません」
『夫の墓には入りません』〈『嫁をやめる日』を改題〉【電子書籍】[ 垣谷美雨 ]
そういえば「嫁」という言葉について書いたことがありました。
hinemosunotarifire.hatenablog.com
何をこんなに気になるのかって
多分 ワタシは「嫁」という言葉が苦手なんだと思う。
嫌な感じがする。
義理の家のものになったような
一人の人間として扱われず
義理の家の召使いになったような
パートナーの家政婦になったような
そんなイメージがワタシの中に出来上がってるのかも。
(これはワタシの持っているイメージです。)
だから
その言葉に引っかかるのかも。
「嫁をやめる日」
この話を読んでいて
嫌だなあ〜
こんなの絶対嫌だ
と思った出来事。
主人公 夏葉子さんが
仕事が遅く終わって
お惣菜を買ってから
これから家でゆっくり夕ごはん食べよと思って
一人暮らしの家に帰ってきた時のこと。
帰ってきたら
自分の家に
義母とその友達がいた!!
なんだよ〜
自分のくつろげる場所がないじゃん。
自分の時間がないじゃん。
ほっとすることができないじゃん。
どうして
自分の家に帰ってきて
他人に気を遣わないといけないの?
こんなの嫌。
自分の家に帰ってきたら誰かが家にいること。
勝手に部屋に入られること。
義母ばかりかその友人までいるなんて耐えられない。
ワタシはこれが一番苦しい。
自分一人の空間がないのが苦しい。
すっかり疲れて帰ってきたのに
さらにどっと疲れる。
お気に入りの空間に
義実家から大きなお仏壇が送られてきたのも嫌。
墓に自分の名前が既に記されているのも嫌。
家に男が出入りしている
とか
男と喫茶店でお茶をしていた
とか
近所の監視の目があるのも嫌。
(これは田舎あるあるだなあ。)
義父母だけでなく義姉の介護要員として
あてにされているのも嫌。
夫が亡くなっても
いつまでも「嫁」が終わらないのです。
これは小説だから良いけれど
こんなことって実際にはいっぱいあるのでしょうね。
この話では
最後に すっきりさっぱり
よかった〜ってなるけれど
そんなに簡単に「嫁」をやめられない人は
多分 たくさんいるのかも。
物語の中だけでも
すっきりしてほしい。
義実家から「卒業」するまでのお話。
読後感 すっきり。
そして主人公の未来が明るく感じられるのは
これまで読んできた垣谷作品と同じ。
後半に出てくる
夏葉子さんのお父さんがとっても頼もしい。
頼れる人がいてよかったね。
頼れる人がいるって気づけてよかったね。
垣谷美雨さんの作品の中の「嫁」たち
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