近藤史恵さんの
「山の上の家事学校」
を読みました。
図書館の新刊本のところにあり
手に取ってみたら
原田ひ香さん推薦の帯。
おもしろそうと借りてきたのですが
これが大当たり。
一気読みでした。
おもしろかった〜。
図書館って(本当は本屋さんの方が)
思いがけなく
本に出会えるからうれしい。
男性だけに家事を教える学校のお話。
山の上にある家事学校。
P38
「家事とは、やらなければ生活の質が下がったり、健康状態や社会生活に少しずつ問題が出たりするのに、賃金が発生しない仕事、すべてのことを言います。多くが自分自身や、家族が快適で健康に生きるための手助けをすることで、しかし、賃金の発生する労働と比べて、軽視されやすい傾向があります。」
(花村校長)
主人公は「ぼく」幸彦 43歳
新聞記者
離婚して1年。
娘(6歳)は元妻 鈴菜 が育てている。
家事学校で学ぶことによって
見えない家事の存在に気づき
これまでの自分を反省した幸彦。
P71
どこかで思っていたのだ。そこまでは、ぼくがやる仕事ではない、と。(幸彦)
なぜ、ぼくはそれをやらなくていいと思い込んでいたのだろう。(幸彦)
つまり否応なしに子供でいられなくなる人と、いつまでも子供でいられる人がいるってことなんでしょうね(花村校長)
やりたくないことを人に押し付ける?
前は娘を預けることができないと元妻に拒否されていたけれど
元妻一家のコロナ罹患によって
幸彦は 娘を預かることになり
自分の思い通りには全く進めることができないことを体験して
外側からただ言っていただけだったということに気づくのが良い。
P91
もし、今ぼくが誰かにそんなことを言われたら、怒りのあまり、「だったら、おまえがやってみろ!」と叫ぶだろう。(幸彦)
P134
ぼくたちは、家事と愛情を結びつけたくなるし、ケアをしてもらえることが愛情だと思ってしまいがちだけど、それはもしかしたら違うんじゃないかなって(幸彦)
そうですね。
これまでは誰かがしてくれていた見えない家事。
誰かがやってくれていたことに気づく。
やってもらって当たり前と思っていた自分もいたなあ。
P161
ぼくは少しずつ、自分で自分の面倒を見るやり方を覚えつつある。(幸彦)
家事学校で学ぶにつれ
幸彦は家事の楽しさに気づきます。
そしてそれを記事にします。
しかし
それを元妻に読んでもらうと
思っていたような反応がない。
自分としては良い記事が書けたと思っていたのに。
元妻からしてみれば
自分のためだけにする家事は
そりゃあ楽しいでしょうね。
ということかな。
家事は自分ではない誰かがやってくれるだろう
自分は仕事をしているのだからやらなくていいんだ
と 思っている人はまだいるだろうなあ。
そして 家事は女のやるものだ
母親がやるものだ
と思っている人も多い。
いつまでも子どもなのだ。
そして社会のシステムが
働きながら生活を整えるのは難しくなっている。
ワタシも働いているときは
うちに家政婦さんがいれば良いのになあと
思っていました。
家事をする時間がなくて毎日ギリギリの生活。
P158
「社会のシステムが、そういうふうに思わせてきたんでしょう。フルタイム労働者は、家庭内のケア労働を担えないくらいに、忙しく働かせ、家事労働従事者は、一度、仕事を辞めると、非正規やパートでしか働けないようにして、家庭内の労働を無償で担わせる。どちらにとっても、幸せなシステムではないように思いますね」(花村校長)
幸彦は家事学校に行って変わりました。
そして
同じ家事学校に通っている他の男性たちも
意識が変わっていくところが好きです。
そんな人が増えたら
家事を自分のことと捉え
一緒に暮らす誰かの負担が偏らないようにできたら良いなあ。
その人自身が生きるために家事が必要だからです(花村校長)
読んでよかった〜。
家事は自分のため生きるために必要。
まっ ワタシですが
家事は完璧を目指してもできないので
できることはやるけれど
あとは必要最低限で良いかあ
と 思ってます。
生きているのでよし。
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